ブログアーカイブ

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PEACE FOREVER in さやま


170815狭山

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東松山少年事件が投げかけるものは?


170730東松山

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4/8ウェスタ川越多目的ホールで…


無題4.8

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ストップ川内原発 再稼働・オール埼玉行動のお知らせ


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川越「九条の会」ニュース97号をお届けします。


川越「九条の会」ニュース97号

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2013年8月18日「九条の会」かわごえ川越連絡会のイベント”憲法フェスティバル”


”憲法フェスティバル”かたり場・憲法塾の写真をアップしました。

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このあと、「沖縄」第二部を観ました。

パワフルな一日でした。楽しかったです。

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沖縄の辺野古・高江への座り込み報告


川越「九条の会」呼びかけ人の一人 杉浦公昭

1995年の少女暴行事件を契機として沖縄県民は「基地の整理縮小」「日米地位協定の見直し」を求めました。これに対して日米両政府はSACO合意で沖縄の「負担軽減」を口実に普天間基地の全面返還を約束しましたが、沖縄島東海岸への「移設」が条件でした。「移設」は、名護市辺野古への「新要塞建設」へとすり替えられました。地元住民は、新基地建設反対で座り込み、辺野古の海に杭一本も打たせず闘い続け、本日(2013年3月8日)で3245日目を迎えています。

私は70歳の定年退職後、平和と自然を守るために2007年から春秋各一週間、辺野古や高江へ座り込みに行っています。そこで見聞きしたものは、美しい海の中にカヌーを浮かべて防衛局の大型船に立ち向かう住民たち、見学者に解説するテント村の村長、沖縄戦に巻き込まれたおじいやお婆たちの座込み、一日中、米軍基地から聞こえる実弾射撃音、フェンスの向こうで浜を荒らしまわる米軍の水陸両用戦車、フェンスに全国からの激励の横断幕を張って画廊に変えた住民の知恵などです。

ここのところ、沖縄へ座り込みに行くたびに政治的に大きな出来事にぶつかります。
前年の9月30日は、オスプレイ普天間配備の前日にあたり野蒿ゲート前での座り込みで

ゴボウ抜き排除を受け、今年の3月22日は、沖縄県庁前で沖縄防衛局による辺野古埋め立て申請書についての新聞号外を受け取りました。

今回の辺野古座込み中の3月26日に、ヘリ基地反対協代表の安次富浩さんから誘われて沖縄防衛局に行き、沖縄県民会議の皆さんと辺野古埋め立申請書撤回の要請行動に参加しましたので、ご報告させて頂きます。

防衛局への辺野古埋め立申請書撤回の要請行動に参加して

前日に続き沖縄防衛局玄関での座込みによる辺野古埋め立て申請書撤回の要請に応じなかった沖縄防衛局長も糸数参議院議員の参加で、ようやく代表10人による20分の面会に応じました。

沖縄県民の総意は、沖縄全41市町村長らの安倍首相への「平成の直訴状」=「建白書」にオスプレイ配備撤回と共に「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」と謳われていましたし、仲井真沖縄知事も県外移設が公約でした。

県民会議代表は、上に記した県民の総意を無視して、今回、沖縄県に提出された防衛局の辺野古埋め立申請書に抗議すると共に撤回を求めました。

武田博史沖縄防衛局長は、沖縄県民の総意と防衛局の埋め立て申請書の矛盾について何を質問しても「この事業は日米合意に基づくものであり、普天間飛行場の危険性除去は緊迫の課題でもあり、この事業に対して沖縄県民の理解が得られるように誠心誠意、努力します。但し事業は進めます」とまるでテープレコーダーをかけているかのように淡々と同じ答えを繰り返し、約束の時間経過を待つ態度だったそうです。

政府、沖縄防衛局はいつも、口では「沖縄の人々に寄り添う」「沖縄の人々の理解を求める」と言いながら、実際にやっていることは、2年前の環境評価書も今回の埋め立て申請書も、こそこそと姑息な手段で提出しています。このようなやり方で沖縄県民の理解を得られる筈がありません。本当に「沖縄の人々に寄り添い、理解を得よう」と言うならば「建白書」で示された沖縄県民の総意である「米軍普天間基地の県内移設を断念し、即時閉鎖・返還する」ことから始めるべきです。

凡そ民主主義国家とは、外国・アメリカとの約束を守るよりも、主権者・沖縄県民の民意を尊重する国でなければなりません。沖縄県民会議としては、知事の公約「普天間基地県外移設」が貫かれるよう、県民投票などを実施して常に民意を示しながら、守り支えていきたいとのことでした。

バナナのおじさんと愛される古堅元代議士

座込み始めた2007年春、元日本共産党衆院議員の古堅實吉(当時78歳)さんに出会い自費出版の平和冊子を差し上げました。お返しに頂いた回想録「命(ぬち)かじり」を読むと、15歳の時、鉄血勤皇隊として沖縄戦に駆り出され、悲惨極まりない戦争を体験し、九死に一生を得て戦後を迎えたこと。ハワイの捕虜収容所に連行された頃、今後、再び戦場に駆り出されれば「死」以外ないと考え、例え投獄されようとも徴兵拒否を貫く決意をした。ここに私の「命どぅ宝」の原点があると書かれていました。
それから座り込みに訪れる度に、水曜日になると古堅さんが手土産にバナナを持って激励に現れることに気付きました。バナナは簡単に皮がむけ、座り込みの人にも分けやすく大いに歓迎されています。そのうちに誰言うとなく「今日は『バナナのおじさん』の日だね」と言うようになりました。

「バナナのおじさん」と愛される古堅さん。私が座り込みに魅かれる理由の一つが、この大先輩から時の情勢の問題点についての見解を聞かせもらえることです。水曜日に辺野古のテント村を訪れれば必ず会えます。お互い忙しい身、日時の約束はできないのに、大先輩に必ず会えるのは、生きる目的を同じくし、健康に恵まれているお蔭でしょう。一度ゆっくりお話を伺いたいと思っていましたら、なんと今回の私の沖縄滞在中の3月27日に高江で古堅さんを講師にした学習会が開かれ、拝聴することが出来ました。

20130327日、高江へりパットいらない住民の会N4ゲート前にて

バナナのおじさんこと古堅実吉元代議士の沖縄戦

                        バナナのおじさんと愛される古堅実吉さん(84歳)。小柄な体の胸には赤地に黄字で「普天間は即時撤去、県内移設断固反対」背中には「怒、再び辺野古なんて絶対許せない!!」の手作りのゼッケンをつけて元気にやって来られます。

3月から6月はヤンバルの森の小鳥たちの営巣期間になるため防衛局も環境アセスで音の出る工事はやらないとしていて、油断できないが、座り込みは比較的楽になります。

そこで住民の会は、折角、毎週訪れる古堅さんに頼んで沖縄の戦後史を何回かに分けて話してもらうことになりました。その第一回目が27日午後、高江N4ゲート前で開かれ、10人程が聞くと共にビデオにも収めました。

小規模の学習会にもかかわらず、この日のためのレジュメと資料を持参された古堅さんの姿勢の正しさに、私は身の引き締まる思いで聞きました。

「沖縄の戦後史を語るには、まず予備知識として沖縄戦の概要を語らねばならないので次

の4項目を話します」として。※初めに(生い立ちの自己紹介)。 1. 68年前なぜ沖縄が戦場になったか。2.沖縄戦はいつ始まったか。3.守備軍司令部南部へ撤退。4.沖縄戦の終結へ。

この話の中で私の心を強く打ったのは、師範隊解散命令後の最後の野田校長訓話です。

「6月18日、師範隊に解散命令が出て、野田校長、古波蔵先輩、井口配属将校が訪れ、最後の校長訓示が有りました。野田校長は110名余の亡き生徒の名簿を手にし、しかも配属将校を前にして『せめて君達1年生だけでも親元に帰しておけばよかった。軍命に従わねばよかった。何とも申し訳が立たない。死んじゃいけないよ。いいかい、決して—死に急いではいけない!君たちは敵の第一線を突破して背後の住民と共に生きるんだよ。残された君たちは、沖縄の将来を背負って立つ人になるんだから』と。天皇陛下の御ため死ぬことが”大和魂だ“と教えられ、玉砕あるのみと思っていた私は生きて良いとの「お許し」を得たような気持になって、敵中突破の勇気を得ました」と話されました。

今回の沖縄座り込み最終(3月28)日は、この3月1日に開館した沖縄県那覇市若狭にある海浜公園脇の「不屈館」(瀬長亀次郎さんと民衆資料館)を訪れました。沖縄訪問前に瀬長亀次郎さんの長女瞳さんが書いた「カメジロウの遺言」を読んで出かけました。

今何をなすべき か「不屈館」から学ぼう!

モノレールの県庁前駅から北西に徒歩13分、若狭(海浜)公園手前右の静かな住宅の並びに「不屈館」は在ります。
「不屈館」では受付で維持会員の手続きを済ませ、早速DVD視聴コーナーで、NHKや琉球新報その他の制作によるものを視聴しました。

途中、近所で昼食を取り、時間を惜しんで全て視聴し終ったのが閉館5時の1時間前。

急いで瀬長さんの一連の活動を表した年表やパネル、蔵書や新聞記事のスクラップ帳、自筆の原稿、愛用品など約1400点の展示品の一部を見ました。

さらに瀬長さんがシャツ1枚をボタンも掛けずにはおり、肋骨があらわな姿で、ちゃぶ台に向かい勉強していた和室が再現されていました。

「家では何時もこのようでしたよ」と瀬長さんの次女で館長の内村千尋さんが紹介してくれました。何といっても圧巻は大きなガラスケース内の市長追放後の瀬長さんに寄せられた約3千通の手紙です。米軍の弾圧を考えて差出人名として「一市民」とか「一主婦」とか書かれたハガキや、黒々とした墨で巻紙3mに及ぶものなど、如何に市民に愛された市長だったかを物語っていました。

次女の内村さんは「父は勇退する時、米軍基地問題をやり残したと言っていました。今、県民が「建白書」で団結しているのを、何より喜んでいると思います」と話しました。

人民党時代から瀬長亀次郎委員長を書記長として支えてきた古堅実吉さんも、最近の講話で「1972年の沖縄返還は未完成で米軍基地問題を残してきている」と言い「今日の沖縄県民の米軍基地撤去の闘いは正当であり、我が国の根幹にかかわる問題である。日米両政府の理不尽な押付けを断固拒許さず、闘いを更に強化、発展させ、全国に広げて行こう。諸悪の根源・安保を廃棄し、憲法を守る崇高な国民的たたかいに発展させよう。平和憲法の輝く日本にして行こう」と呼びかけています。カメさんも今生きていたら、同様に呼びかけていたものと思います。

「民衆の支えによる民衆のための資料館にしたい」という内村さん。資料館の維持、管理は年会費3000円の賛助会員と年会費5000円の維持会員による「友の会」制をとり、末永く続くよう考えられています。会員特典は、いずれも入館無料のほかニュース送付などの特典があります。問い合わせは、不屈館 ☎098-943-8374まで。

 HP 「不屈館」 瀬長亀次郎と民族資料 http://senaga-kamejiro.com/about.html

 youtube 2013年3月1日に開館した「不屈館-瀬長亀次郎と民衆資料-」

 http://www.youtube.com/watch?v=6nw2CaqdhHA&feature=player_detailpage